先月(08/07がもうじき出ますので)の鉄ピク 804の特集「SLブーム」、良かったですねぇ。
SLファンとしては、感涙ものでした。
個人的に感激したのは、「私の体験したSLブーム あの日あの時」の真船直樹さんの『矢立峠から始まった我が受験戦争』。
当方が、未だ8歳の頃の古里弘前駅や矢立峠の記録。
同時に掲載されていた、弘前駅のヤードや矢立峠のモノクローム写真。
当時の弘前は、まだまだSLが元気な頃で、夕方とか早朝には、駅方向から聞こえる汽笛の音(短い"ポ")。
駅へ向かうと、汽笛やドラフト音が鳴り響き、ガシャガシャと連結器の音を轟かせながら貨物をさばく音。
チッキを預けにくる乗客。大きな行商籠を背負った老婆の姿。
今思い出すと、涙涙です。
今の弘前駅からは想像もつかない風景です。
そんな頃、真船さんは大学受験で弘前へいらしていたなんて。
最近頭から離れない思い。当時の弘前駅の風景をなんとかNスケールで再現したい。
でもね、なかなかネット上には当時の弘前駅の映像が残っていないのですよねぇ。
駅の中はかなりぼんやりとした記憶ではあるが、呼び戻せつつある。
しかし、大事な外観が全く思い出せないのだ。
そんな思いと真船さんの写真をもっと観てみたい(合わせて、北海道レールフォトライブラリィさんの写真が観てみたい)ということで、探しました。
The Crystal Railway 北海道 |
中古ですが、鉄道写真というより、風景写真/ポートレートのようなアーティステックな作風。
いいですねぇ。20年程前の書籍なんですが、素敵な作品です。
偶然貴殿のブログを拝見致しました。
駄文をお褒め頂、恐縮です。
むしろ、その中の貴殿の言葉の方が弘前の当時を伝えていて、あの頃、あの街の空気感が感じられました。
弘前のお話などしたいものです。
投稿情報: 真船直樹 | 2009年4 月 5日 (日) 14:14
初めまして。感激しております。
ご本人様からコメントを頂けるとは思ってもみませんでした。
何故か、雪の降る弘前は嫌いなのですが、あの頃の弘前は妙に愛おしいのですねぇ。
今でも鮮明に覚えているのは、テンダーにコブ(重油タンク)のある蒸気達。そして、連結や発車の時のガシャガシャ音と汽笛の音。
それと、青森駅の連絡船。銅鑼の音、あの物悲しい蛍の光。着岸時のブリッヂと港のやり取り(港:50m!、連絡船:ボッ!(汽笛)、港:30m!、船:ボッ!)。
現在、別サイトで蒸気・ディーゼルのサイトを立ち上げております。
機会があれば、弘前の話。
聞かせて頂きたいですし、お写真等拝見したい処です。
本当に、コメント有り難う御座いました。
投稿情報: Tanktankro(管理人) | 2009年4 月 6日 (月) 21:03
拝復
別サイトの方も拝見させて頂きました。充実したページで楽しそうですね。それにしても、昨日新聞で目にした模型店の事件が、貴殿の行きつけの店だったとは驚きです。
今では模型などやる暇もなく、全車両休車中ですが、かつては、貴殿の言うように「聖地」詣でをしたものです。
模型店の店主はそんな少年たちにとっては、一種のカリスマで、無条件に尊敬していたものです。
今回被害に遭われた増田さんもそんな感じが新聞紙面や貴殿のブログから感じられ、実に残念な気持ちにさせられました。
前回のコメントで小生の弘前のページへリンクを張ったのですが、動作しないようなので、表紙にリンクしました。年に1回更新を目指すひどいページですが、まあ、あの頃の雰囲気を楽しんで頂ければ幸いです。ただ、心配なのは、ページ立ての奥が深すぎて弘前までたどり着けるかです。2000年の設置なので、年数だけは重ねた関係で、えらく複雑怪奇なページになっていますので、あまり期待しないでください。
それでは、また。
投稿情報: 元・弘前大学受験生 | 2009年4 月11日 (土) 14:26
元・弘前大学受験生には参りました。
じっくり時間を掛けて、散策させて頂きます。
ご丁寧に、感謝致します。
投稿情報: Tanktankro(管理人) | 2009年4 月11日 (土) 21:28